大会長 大橋 昌資
(医療法人啓夏会 響ストレスケア〜こころとからだの診療所 理事長・院長)
2020年4月25日(土)と26日(日)に、山梨県甲府市にあります地場産業センターかいてらすにて、第3回日本うつ病リワーク協会年次大会山梨大会を開催することになりました。
2008年に発足したうつ病リワーク研究会は10年の歳月を経て発展を続け、2018年2月には一般社団法人日本うつ病リワーク協会が設立されました。所属する医療機関は300機関を超え、会員数は1,000人を超えます。そして昨年には第1回の年次大会が福島県で、今年は第2回の年次大会が福井県にて開催され、松原病院のご尽力のもと、盛会に終わりました。大会長の松原六郎先生のお人柄が随所に滲み出し穏やかな雰囲気のなか、参加者の熱気、および実行委員長の小林真実先生や事務局の小林仁志先生に統率された運営スタッフの実直さ、笑顔が印象的でした。
そのような流れを受けて、今回は、私どもの医院があります山梨県で、年次大会を開催させていただくことになりました。大変名誉なことと感じつつ、その責任に気が引き締まる思いでおります。
今回の大会テーマは「うつを生きる、再考〜医療リワーク継続のために」とさせていただきました。
抑うつ状態で休職せざるをえなくなった患者さんを、医療リワークでは治療をしていきます。そして、復職という結果を求め、そして同時に再休職予防に向けた取り組みを始めます。そのうつというものには多くのパターン、多様性があります。一方で、知らず知らず同じような経過を取っていく様子もみられます。そこには、職場という環境から医療に現れ、その後継続し通院する、ないしは治療終結していく患者さんたちがいます。いったい彼らは、いつから病気になり、いつまでが病気なのでしょうか?
果たして元気に働いていた時は病気じゃなかったのでしょうか?復職して、再休職予防を成し遂げている時は、病気は治りうつではないのでしょうか?
こうした臨床上の疑問を考えるキーワードが「うつを生きる」です。もみじヶ丘病院の芝伸太郎先生が生みの親の言葉で、そのタイトルのご著書が世に問われたのは2002年の事でした。「メランコリー親和型を基盤に発症するうつ病」の患者さんは当時の私たちの中心となる治療対象でした。その治療の取り組みの一つとして、医療リワークは黎明期を迎えました。時代が変わった今でもそこで問われた、患者さんの生きる様子には変わりがないように思います。一方で、うつそのものが多様化、非定型化してきてもいます。
医療リワークに携わるものとして、「うつを生きる」を、改めて考えてみることは、プログラムの継続、医療リワークの深化に役立つのではないでしょうか?
当院は多職種の職員5人と医師は私のみ、という零細クリニックです。それゆえに多くの力添えをいただかないと大会が運営出来ません。幸いにも、甲府盆地の仲間を中心に多数の協力が得られそうです。連携を重視して運営に当たるのは、リワークプログラムを2008年に始めてからしてきた事と同じようです。全国の地方都市の小さな施設でも大会を開催出来る先例になれればと思っております。
様々な連携、プログラムの工夫、スタッフの特長を活用、などプログラム継続のためには多くの事が必要です。リワークそのものが普及しておらず、待ってれば利用者が来てくれるという時代は過ぎ去ったのではないでしょうか?
どのような対策が必要か、アイデアを出し合い、議論しあうことで、それぞれの施設運営に役立てばと思います。
山梨では、世界文化遺産の富士山をはじめとして、昨年には、「葡萄畑が織りなす風景-山梨県峡東地域-」、「星降る中部高地の縄文世界-数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅-」が日本遺産として登録されています。新緑の昇仙峡も訪れる価値があります。
また会場は、古事記にも出てくる連歌発祥の地、酒折の宮の近傍です。
「新緑の甲斐路に集うプロフェッショナル」
皆様にはこれに続くどのような下の句をご展開いただけますでしょうか?
是非とも多数の皆様のご参加を心よりお待ちしております。